【序章】学生時代
私は1973年2月21日に、福島県はいわき市にて生まれました。
小さい頃から、自宅の横が塗装工事の会社をしていましたので、
とても人の出入りが多く、いつもいろんな人がまわりにいました。
小さい頃は、環境のせいも手伝って近所の壁を真っ黄色に塗ってみたり、
お騒がせした幼少だったように思います。
しかしながら、塗装についての興味は特に抱かず、
もちろん嫌いというわけではありませんでした。が・・・。
その後普通高校に進みました。
高校時代、大学時代と吹奏楽や交響楽団に所属し、あっという間に時間が過ぎておりました。
大学進学時になると、さすがに将来はどうしようという事もありましたが、
父親の方からも何も言われなかったので、総合大学へ進学を決めました。
この時は、将来新聞記者やジャーナリストになって社会に役立つ人間になりたいとの想いから、
マス・コミュニケーション学科を専攻し大阪の関西大学で学びました。
学生時代はCMの作成演習やコンピュータ実習、そして読書もたくさんしました。
今となっては流行の速読や消費者心理学関係の授業もたくさんあり、
いろいろな事 も知れ、とても楽しい時間でした。
もちろん大好きなクラリネット演奏も続けたいと思いましたので、
4年間交響楽団に所属して毎日オーケストラの仲間達とも練習したり、ケンカしたり、食事したりと
とても環境に恵まれた日々を送らせて頂きました。
今でも学生時代の友人たちに感謝しています。
そんな私に転機が訪れたのが、平成6年5月27日です。
そう、私の父親がガンで他界した日です。
この日を境に、私に将来を決める猶予期間は無くなりました。
つまり、中小企業にとって後継者がいるかどうかは、会社が存在できるかどうかの大きな問題ですから。
私の意志に関わらず福島に戻って家業を継いでもらわなくてはと、痛いほど周りの雰囲気を感じ取ったので、
内定先に迷うことなく状況を話し、卒業と同時に福島の実家に戻りました。
・・・今でこそ、何のために働くのかと言うことを真剣に学生さんに、話していますが、
この時は、戻ることが全てで、後先考えず、平成7年4月1日より社会人一日目がスタートしました。